キーボードのQWERTY配列とDvorak配列の歴史

現代の一般的なキーボードはほとんどがQWERTY配列です。QWERY配列は文字の並びに規則性がなく、この配列が出始めた当初は反発もありました。その配列の謎と、QWERTY配列に対抗して出てきた別の配列について、デザイナーのマルチン・ヴィチャリ氏が解説しています。
The primitive tortureboard – Aresluna
https://aresluna.org/the-primitive-tortureboard/
QWERTY配列がなぜこの配列になったのか、実はハッキリと分かっていません。「TYPEWRITER」という文字をすべて1段目だけで打てるようにしたとか、高速な入力に対応しきれない初期のタイプライターに配慮して、よく使う文字のペアをわざと遠い位置に置いたなどといわれることがありますが、いずれも真実かどうかは分からないそうです。
QWERTY配列が出始めた当時、その並びの規則性のなさに憤慨した人々が別の配列を出して対抗を始めました。有名なのはジョージ・C・ブリッケンスダーファーという人物が開発した「DHIATENSOR」配列で、英語で最もよく使われる母音と子音を最下段に収めたものでした。この配列のキーボードは「ユニバーサルキーボード」と呼ばれるQWERTY配列に対抗して「サイエンティフィックキーボード」と名付けられ、過去に何点か登場しましたが、既にQWERTY配列に慣れてしまった人々の心には響きませんでした。

もう1つ有名なのが「Dvorak」配列です。Dvorak配列は1930年代、ワシントン大学の教育学教授だったオーガスト・ドヴォラックが設計した新しいレイアウトでした。ドヴォラック教授は、交響曲第9番『新世界より』チェコの著名な作曲家であるアントニン・ドヴォルザークと遠縁にあたります。なお、作曲家のほうは「Dvořák」というスペルで、母語のチェコ語では「ドヴォジャーク」「ドヴォルジャーク」に近い発音になります。
ドヴォラック教授によるQWERTY配列キーボード評は「粗雑」「自己満足」「寄せ集め」「不快な刺激物」というひどい内容だったと伝わっています。その理由は「QWERTY配列だと左手に負荷がかかりすぎる」というもので、多くの人にとって利き手とは反対である左手で多くタイピングしなければならないこと、力がかかりにくい左手の指に必要以上の負担を強いること、また、指を不必要に上下に移動させなければならないことなどを、ドヴォラック教授は問題視していました。
教育心理学者だったドヴォラック教授は、ガートルード・フォードという学生に対してタイピングミスに関する論文の添削指導を行っていく中で、「QWERTY配列の改良こそが自身の責務だ」と思うようになったとのこと。
新キーボードの設計には10年以上を要しました。ドヴォラック教授とその義弟は1932年に特許を申請し、1933年には早くも「タイプミス発生の理由と経緯」という題名の論文でキーボードについて論じています。
ドヴォラック教授らが「簡略化キーボード」と名付けた初期のDvorak配列は以下の通りです。扱いにくく使用頻度の低いセミコロンが排除され、カンマとドットは右下から左上に移動し、数字さえも効率化のために再配置されました。QWERTY配列と同じ位置にとどまったキーはAとMだけです。

Dvorak配列のキーボードは、左手の負担が軽減され、強い指が弱い指よりも多く使用されてバランスも改善され、同じ手の指で入力しなければならない単語はごくわずかにとどまりました。
QWERTY配列の開発者がその配列の謎を墓場まで持っていったのに対し、ドヴォラック教授は「タイピング行動論」という論文でDvorak配列の理論を隅から隅まで説明しようとしました。その努力は理論だけにとどまらず、多数のタイプライターを改造して学生に新配列を教え、速記コンテストへの参加を促しました。このコンテストではDvorak配列を習得した学生が他者を圧倒したなどと伝えられています。

その努力は実を結び、1944年、第二次世界大戦による人手不足に直面したアメリカ海軍が生産性向上を約束するDvorak配列キーボードへの切り替え試験を実施しました。QWERTY配列に慣れた14名のタイピストが訓練したところ、わずか50時間でQWERTY配列並のスピードでタイプできるようになり、最終的には全員のタイプ速度が平均75%高速化。その中の1人はQWERTY使用時と比べて約2.5倍の速度を達成。タイピング精度も68%へと、驚異的に向上しました。
Dvorak配列は「習得が容易で、正確性が高く、疲労が少なく、効率的であり、全体的に簡単で楽しい」という満場一致の意見が出たとのこと。しかし、海軍は結局Dvorak配列に切り替えませんでした。理由は明らかにされませんでしたが、入札は財務省によって取り消され、研究全体が機密扱いとなってしまいました。

さらに同じ時期にQWERTY配列が改良され、QWERTY配列の方がタイプ速度が速いという結果が出たことで、Dvorak配列は苦戦を強いられました。ドヴォラック教授は「人類のために価値あることをしようと努力するのに疲れた。彼らはただ変化を望んでいないのだ!」と記しています。PCの普及期は、タイプライター未経験者が初めてキーボードに触れる機会ということで、わずかにDvorak配列にも光が差しましたが、結局はQWERTY配列の天下が続くことになりました。
ヴィチャリ氏は「『なぜDvorak配列は失敗したのか』?私は失敗したとは考えていません。QWERTY配列に代わる選択肢を提供し、それを必要とする者へのインスピレーションを与えるという、発明者の意図した目的を完全に達成したからです。しかし結局のところ、新しい選択肢を必要とした者はごく少数でした。Dvorak配列は確かに速くて快適かもしれませんが、問題はそれが重要ではないということです。QWERTY配列はそれほど悪くはなく、ほとんどの人にとって十分良いものなんです」と述べました。
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