サイエンス

激しく揺さぶられた赤ちゃんの脳に重度の障害が発生する「揺さぶられっ子症候群」に関する大量の事例を精査するきっかけとなった出来事とは?


赤ちゃんを激しく揺さぶることで脳に重度の損傷が生じることを「揺さぶられっ子症候群」と呼びます。この揺さぶられっ子症候群による恐るべき事例をまとめた書籍「Shaken Baby Syndrome Investigating The Abusive Head Trauma Controversy」の著者のひとりであるシリル・ロサント氏が、書籍を書くきっかけとなった出来事について話しています。

A journey into the shaken baby syndrome/abusive head trauma controversy - Fifteen Eighty Four | Cambridge University Press
https://cambridgeblog.org/2023/05/a-journey-into-the-shaken-baby-syndrome-abusive-head-trauma-controversy/


「Shaken Baby Syndrome Investigating The Abusive Head Trauma Controversy」は、ユニバーシティ・カレッジ・ロンドンの神経学研究所で神経科学研究者として働くシリル・ロサント氏ら32人の研究者が、医学・科学・法学といった複数の要素から揺さぶられっ子症候群を徹底的に分析した著書です。

この著書は、ロサント氏が2016年に妻と生後5カ月の息子と南フランスで休暇を過ごしている際に経験した出来事をきっかけに記されました。ロサント氏の息子であるデイビッドくんは、休暇の1カ月ほど前からぐずっていたそうで、開業医であるロサント氏の母親は、デイビッドくんの頭囲が急激に大きくなっていることに気づいていたそうです。


休暇先の南フランスの小児病院でデイビッドくんの脳をCTスキャンしたところ、担当医から「息子さんの脳の周りに出血があります。いわゆる硬膜下出血です。残念ながら、赤ちゃんは揺さぶられっ子症候群です」と診断されたそうです。

ロサント氏は自身の息子が揺さぶられっ子症候群であると診断された時、「今まで聞いた中で最も悲痛な思いをしました」と語っています。揺さぶられっ子症候群は児童虐待とされることもあり、被害者となった乳児は激しい揺さぶりのあとに死亡したり、生涯にわたる障害を負ったりするケースがあります。なお、デイビッドくんは2度の脳神経外科手術を受け、無事回復したそうです。


次にロサント氏に浮かんだ疑問は、「我が子にこんなにひどいことをしたのは誰なのか?」でした。ロサント氏自身も同氏の妻も、そしてそれぞれの家族も、誰もデイビッドくんに対してこんなひどいことは絶対にできないとロサント氏は確信していたそうです。ロサント氏はデイビッドくんを乳母に世話してもらっていたため、乳母がデイビッドくんを激しく揺さぶったのではないかと疑ったそうですが、「彼女(乳母)がそんなことをしているとは信じられなかった」と記しています。

また、デイビッドくんは両眼の網膜から出血していたため、病院の医師は「激しい震え以外に、脳と眼の奥の出血の原因はない」と診断し、網膜出血も揺さぶられっ子症候群によるものであると診断しました。この診断結果を家族の誰も疑うことはなかったと、ロサント氏は語っています。

しかし、ある神経小児科医はデイビッドくんが良性外水頭症という比較的まれな病気である可能性があると診断しました。これは脳の周囲に過剰な液体がたまり、硬膜下出血や網膜出血を伴うこともあるという症状です。打撲、骨折、首の怪我、その他外傷の兆候が全くないことから、神経小児科医はデイビッドくんが揺さぶられっ子症候群であるという説を「完全には信じきれない」と診断したわけです。

子どもを守るための予防措置として、病院は揺さぶられっ子症候群と診断された場合に通報する義務を課されています。この通報により、ロサント氏と妻は一時的にデイビッドくんの親権を失うこととなりました。しかし、有能な弁護士のおかげで2カ月以内にすべての容疑が晴れ、デイビッドくんの親権を取り戻すことに成功したそうです。また、法的手続きが整うまで、ロサント氏らはデイビッドくんと一緒に24時間体制で病院に居続けたとのこと。通常、通報後数カ月にわたって赤ちゃんと引き離されてしまう親が多いため、ロサント氏は「一緒に居ることが許されたのは幸運だった」と語っています。


子どもを取り戻したあと、ロサント氏はデイビッドくんに何が起きたのかを突き止めようとしました。この時、乳母はデイビッドくんを過剰に揺さぶったとして起訴されていましたが、乳母は容疑を否定しており、ロサント氏も乳母による犯行に確信を持てなかったそうです。ロサント氏は世界中の専門医にセカンドオピニオンを求めたそうですが、診断結果は「揺さぶられっ子症候群」と「外水頭症」でほぼ半々で、ほとんど役に立たなかったとのこと。

このタイミングで、ロサント氏は揺さぶられっ子症候群には長年にわたって科学的論争があることを知ります。ロサント氏は医者ではありませんが、神経科学の博士号を取得しており、科学文献を批判的に読むことには慣れていたため、このテーマについて可能な限り自分で調査することを決意したそうです。

その後、ロサント氏は数カ月のうちに500件以上の医学論文を読み、デイビッドくんに起きた出来事の比較的明確な答えを得ることができたそうです。文献調査中、ロサント氏は病院で聞かされた「乳児の硬膜下出血および網膜出血は、外傷の外部証拠がない場合でも、ほとんどの場合、激しい揺さぶりにより引き起こされる」という主張(揺さぶり仮説)は、科学的根拠が極めて弱いものであることに気付きます。

しかし、この「揺さぶり仮説」は、世界中の医師たちに何世代にもわたってあたかも証明されてきた事実であるかのように扱われてきました。そして、毎年何千人もの子どもたちが「揺さぶり仮説」をもとに親から引き離され、何千人もの人々がこの主張に基づき起訴され、有罪判決を受けています。そのため、法学教授のデボラ・トゥルクハイマー氏は、揺さぶり仮説を「医学的殺人診断」と定義しています。


法医学は非常に特殊な分野で、誤りが長期間気づかれないままになることがあります。ロケットや原子炉のトラブルは、気づかれないまま放置されることはほとんどありません。一般的に、医学的診断や治療が無効である場合、患者の健康状態を観察することで効果的なフィードバックループが構成されます。しかし、誤った人物が有罪判決を受けた場合、フィードバックループを構築することができなくなります。信頼できるフィードバックループの欠如は、法医学において長らく指摘されてきた科学的信頼性に関する深刻な問題を部分的に説明しているとロサント氏は指摘しました。

頭部の外傷は深刻な症状を呈し、頭蓋内出血を含む外傷性脳損傷の明確な原因となります。揺さぶられっ子症候群の医学的診断の多くは、事実上、意図的な暴力的外傷の被害者となった子どもたちに対して下されます。しかし、硬膜下出血や網膜出血は、特に衝撃が加わった場合など、非偶発的な外傷によって引き起こされるケースもあるものの、必ずしもそれだけが原因とは限りません。実際、さまざまな偶発的な出来事や病状が、揺さぶられっ子症候群の原因として考えられることも実証されており、特に虚弱な乳児は家庭内での軽微な転倒で重度の頭部外傷を負うこともあります。他にも、遺伝性疾患、代謝障害、血液凝固異常、感染症などが揺さぶられっ子症候群の原因となるケースもあるとのことです。

実際のところ、揺さぶられっ子症候群において、実際に激しい揺さぶりが目撃されたり、記録されたり、警察による尋問前に容疑者が自白したりするケースはごく少数です。はるかに多いのは、親や介護者によって病院に連れてこられた乳児の硬膜下出血や網膜出血が発見されたのち、「激しく揺さぶられたのでは?」と推測されるケースです。

医師は硬膜下出血や網膜出血を暴力的な外傷の兆候と解釈しますが、医師からこれらの所見について尋ねられても、親や介護者は一般的に納得のいく説明をすることができません。揺さぶり以外に「納得のいく説明」と言えるのは、「高所からの転落」や「高速道路での自動車事故」くらいだそうです。そのため、突然の虚脱、原因不明の呼吸停止、軽度の転倒といった外傷性ではない出来事を報告する親や介護者は、ウソをついているに違いないと考えられてしまうわけです。


残念ながら多くの最前線の医師、警察官、検察官、裁判官が、日常的に「揺さぶり仮説」を適用し続けています。ロサント氏の事例も含め、原因不明の硬膜下出血や網膜出血を呈する乳児が、家族から一方的に引き離され、親や介護者が毎日のように起訴され、有罪判決を受けているとロサント氏は指摘。揺さぶり仮説のパラダイムシフトに気づくには、この分野での長年の経験、あるいは数十年にわたる文献研究が必要であるとロサント氏は主張しています。

揺さぶられっ子症候群と誤診された子どもとその家族に与えるダメージは想像を絶するものです。ロサント氏の場合、乳母は最終的にすべての容疑を晴らしましたが、裁判所がデイビッドくんの病状を認めるのに4年もかかったそうです。その間、ロサント氏は乳母と話すことを禁じられ、乳母もデイビッドくんに近づくことを禁じられ、生計を立てる手段を失いました。

それでもロサント氏は「私たちと同じ境遇にある多くの親に比べれば、辛くも救われました」と記しています。さらに、「揺さぶり仮説をもとに、キャリアの終わりを目前に控えた乳母、悲しみに暮れる妊娠中の母親、愛情深い父親が、何年も何十年も投獄されることは少なくありません。親が自殺し、家族が引き裂かれることもあります」と記し、揺さぶられっ子症候群が法医学に与える影響は甚大であると指摘しました。

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in サイエンス, Posted by logu_ii

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